今回は、最近写真を撮っていての気づきのお話し。(と言ってもまあ、普通のことです。仰々しい発見ではなく)
ツイッターにこんなモノクロの写真をあげました。
そうすると、いつも色々教えてくださる写真家の方から、「素敵ですね!」とお褒めの言葉。
まあ、その方からしたら気軽にコメントを残してくれただけかもしれないけれど、いいね!だけでなくコメントもいただけるのはとても嬉しいし、ありがたい気持ち。
そしてこんなことを言ってはなんですが、自分でもいい感じで撮れたなあ、という自覚もあったので、それが共有された嬉しさもありました。
まあ、簡単に言ってしまえば、気を良くしていたわけです笑
そして人は、小さくても成功体験をひきずるもので、次の日もモノクロ真四角で写真を撮りました。それがこちら
悪くないし、好きな感じではあるんですが、1枚目に迫る好き度ではないようなモヤモヤした感じ。
それはなんでなのか。
と考えたときに気が付きました。
撮っている思考のプロセスが違う、と。
この写真は、ある作業中の紙の切れ端なのですが、
「この紙のラインと光の感じがきれい」→カラーで撮る→「白の紙と黒の机だからカラーだと薄まる気がする」→モノクロで撮る→「好き!」
という流れ
この写真は
「モノクロで撮ろう」→「これは合いそうかなあ」→「合う気がする!」
という流れ
完全にモノクロへの選択プロセスが真逆だったことに気が付きました。
たぶんどちらのプロセスが良くてどちらのプロセスが悪い、ということもなく、普段モノクロ機やモノクロフィルムで撮られている方は、後者の方法で撮っているんだと思います。
ただ、自分には、手段を目的にするには経験値や精度が圧倒的に足りてないのだと思いました。
そして、前者の方法は、発見した美しさを、どうすればより良く残せるのか、という目的に合わせた正攻法だったので良かったのだな、と。
また、前者が(少なくとも自分にとって)よい写真だったのは、
美しさを発見できていたこと
その美しさに合った手段を選択できていたこと
が大きかったのだな、と。
今回の気付きをまとめると
①まずは美しさを発見できる目を育てる
②それに合わせた手段(デジタル、フィルム、モノクロ、カラー、レンズ、サイズ等)の選択技能(精度、速度)の向上
それ普通じゃん!!
というか知ってたよ、それ!!
と思いましたが、それをちゃんと身体として実感できたのはよかった。
あと欲を言えば、
③ちゃんと主題を持てるようになりたいな
と思いました。
①、②に関しては、
写真を撮りまくる!色々なインプットをしまくる!っていうのが単純であり最大の解決策なんだろうなあ、と思っています。
質より量ではなく、量による質の向上。そのための毎日カメラ。
そしてただ撮りまくるのではなく、工夫しながら撮りまくりたいなあ。
レンズしばりとか、モノクロしばりとか、フィルムしばりとか、モチーフしばり、主題しばりなど単純な工夫からはじめていきたい。
と、まあ、気づきを備忘録的に書き始めたつもりだったけれど、結果的には振り出しに戻った感覚。
2022年1月、機材もなにも変わっていないんだけど、また新たにカメラ、写真を始めていく感覚。リスタート。
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